Intrada_Desplanes.wav ``Intrada" per Jean-Antoine Desplanes(ジャン=アントワーヌ・デュプラーヌ:1678-1757) 【参考】付録G「雑談」G.2 弦楽器関係 5.ヴァイオリン奏者の系譜 (3)フランス楽派など ヴァイオリン:Andrea Amati(ヴァイオリンと呼べるものを最初に作った人.Nicoloの祖父)1560年ころの作. 奏者:Ruggiero Ricci(Pf: Leon Pommers) ヴァイオリンは1530年の少し前に,まずレベックの流れで3弦のものが作られ,数年程度で4弦になったが, 1500年代はそれほど流布しておらず,使われたとしても,巷の音楽士が日銭を稼ぐための道具として使うのが 主な使われ方で,そのための曲もなく,吟遊詩人の歌の伴奏やダンスのための音楽を即興で弾くのが大部分 であった. そのような中での最古の記録は1581年のフランス王室の(Duc de Joyeuse と当時のフランス 女王の妹 Vaudermontの)結婚式での舞踏会の演奏で,Renneにその絵が残っており,楽団編成は ヴァイオリン1,ヴィオラ1,コントラバス4で,これにはイタリアからBarthasar de Beaujoyeulxが 音楽監督として派遣されており,その時に演奏されたLambert de Beaulieu と Jacques Salmon合作 の曲の楽譜が残っている.  フランス王室にはこのようなお抱えの楽団が22もあり,大量の楽器が必要であったというような 事情から,Andrea Amati(Nicolo Amatiの祖父)がシャルル9世から38丁のヴァイオリン属楽器の 発注を受けており,ルイ13世は24丁から成るヴァイオリンセットを持っていたという.  ただ,17世紀前半ころまではまだヴァイオリンは下衆の弾く楽器で,それがまっとうな楽器として 認められるにはコレッリ(Arcangelo Corelli, 1653-1713)などの出現をまたなければならなかった. コレッリ以前では,コレッリの師匠バッサーニ(Giovanni Battista Bassani, 1650-1716)の曲が 1680年代前半のものが少し残っているが,コレッリの曲ほど注目されるものはない. さらにその前となると,バッサーニの師とされる作曲家ダニエレ・ダ・カストロヴィラーリ (Daniele da Castrovillari, 1613-1678)については姓名の正確な綴りがはっきりしないという状況で, その作品とされる``La Cleopatra"が伝わってるが,ヴァイオリンのための曲ではなく, 初期の小オペラのようなものである.2015年にサン・フランシスコで上演された際の楽団の編成は 歌手10人に対して,楽器はハープシコード,テオルボ,チェロ各1とヴァイオリン2であった.  純粋にヴァイオリンのために作られた初期の曲としてはコレッリの「La Folia(ラ・フォリーア)」 (イタリア語でなく,スペイン語.主題に対して多数の変奏を示した形のスペインの舞踊形式名)が有名で, 上級奏者のレパートリーに現在でもしばしば取り入れられるが,ここでは初期のヴァイオリン曲として コレッリよりも1世代後のフランス人デュプラーヌの「イントラーダ」を入れておく. これは何の技巧も使わず,この楽器の魅力を存分に発揮する曲で,上記の「ラ・フォリア」などよりも よほど歌心が感じられる,当時としては出色の作品である. デュプラーヌはコレッリとルクレール(コレッリに師事した)のちょうど中間の年代なので, フランス楽派としては最初期の奏者で,J.S.Bachよりも7〜8年先に生まれている. 当時の伴奏用の鍵盤楽器はチェンバロであったはずであるが,ここではピアノが使われている.